平熱に戻りましょう
暖かい年末となりました。
クリスマス休暇中に大きな波乱もなく、市場の温度も高どまっています。
地球のあちらこちらで頭に熱をおびた集団も少なくなく、無駄な戦火も続き、地表の温度を押し上げています。
良くも悪くも体感温度の高かった2016年。
2017年はトランプさんに煽られて、市場も人心もやや過熱気味の一年になりそうです。
年末年始に市場も人間も少し冷静になって、スタートだけでも平熱で始まればよいと思っています。
寺本名保美
(2016.12.27)
エコよりクリーン
毎年4月後半に起きる軽い喘息の様な症状が、どういうわけか12月中旬から始まっています。
偶然かもしれませんが、中国での大気汚染ご深刻化しているとの情報が耳に入り、東京地方のPM2.5の数値が警戒水域に入っています。
トランプ政権は石化燃料の採掘に積極的との噂もあり、私の住める場所が年々狭くなる気配に怯えます。
エコでなくてもいい。クリーンな空気が欲しいと切実に思う今日この頃でした。
寺本名保美
(2016.12.26)
静かに欧州
静かに欧州で問題が深行しています。
モンテパスキ銀行の資本増強の期限である年末が近づくにつれ、公的資金投入が避けられないとの見方が強まってきています。
モンテパスキ銀行への公的支援の導入は、単にモンテパスキやイタリアだけの問題ではなく、債権者負担を強制するベイルイン方式が大手行に適用される初めてのケースとして注目されています。
欧州、米国、日本と、それぞれ金融のセイフティネットのあり方や資本規制の詳細が一律ではないため、欧州でのベイルインがそのままぐグローバルな前例となるわけではないものの、このリーマンショック後に導入された新しい国家関与システムが現実に金融市場に何を引き起こすのか、市場関係者も格付け機関も金融当局も、固唾を飲んで見守っているというのが現状です。
クリスマス休暇明けからの年末年始。意外なところから綻びが発生しなければよいのですが。
寺本名保美
(2016.12.22)
古典的なはけ口
シベリアでメタノール入りの入浴剤をアルコール替わりに飲んで50人近くが死亡したという痛ましいニュースが出ています。
ロシアのTASS通信は、同様の毒性があるアルコールでの死者は2016年に全ロシアで9000人を超えるのではないかとも報じています。
原油の急落から2015年に経済危機宣言と緊縮財政方針を表明してから1年が経過し、原油価格の反発と共にロシア経済も徐々に回復してきているかと思っていたのですが、現状はかなり厳しいのかもしれません。
国内の不安のはけ口として、対外軍事活動を積極化するような、古典的な政策にプーチン氏が走らないことを願うばかりです。
寺本名保美
(2016.12.21)
カエルにならないように
ここから暫くの間、世界で企業買収合戦が起きるとするなら、自国通貨は安いより高い方が良いのです。
貿易というのは対等なwin-winであるのに対し、企業買収による拡大はより弱肉強食の色彩が強くなります。
アメリカが来年から攻めに転じるとするならば、トランプ政権が強いドルを肯定する可能性もあります。
円安を喜んでばかりでは、いつか蛇に睨まれたカエルになってしまうかもしれません。
寺本名保美
(2016.12.20)
手負いの獅子
先週の金曜日の夕方、日露首脳会談での記者会見の時間、たまたま札幌のホテルの部屋にいました。東京キー局からの経団連前の中継と、北海道ローカル局の地元の方のインタビュー番組とを見比べていると、あまりの温度差に、東京キー局の番組が滑稽とすら思えました。
偶然同じ頃、ウォールストリートジャーナル等の大手メディアが報じていた今回の大統領選挙に関するロシアの不正関与について、オバマ大統領が正式にコメントを出しました。
日本での茶番や米国選挙への介入に共通する背景はおそらくロシアの困窮であろうと想像されます。北方領土問題を隠れ蓑としてプーチンさんは3500億円の経済支援を貰いにわざわざ日本の山口県にまで出向き、米国流のイデオロギー政治には距離を置いているように見えるトランプ氏を支援することで経済制裁の解除を狙ったのかもしれません。
原油での非OPECとの合意もそうですが、ロシアがイデオロギーやプライドより実利を求めて動きだしていることは、対処の方法を間違えなければ悪いことばかりではないようにも思えます。
背に腹は代えられない状況になっている手負いのプーチン氏に利用される振りをして実益を得るしたたかさが、安倍政権にもあるとよいのですが。
寺本名保美
(2016.12.19)
理念より実利の外交
トランプ新政権の最大リスクとして中国との経済的軍事的衝突が浮上しています。
トランプさんにとって二つの中国という言葉にはおそらく余り意味がなく、台湾の産業がアメリカの産業基盤にとって重要度が高いかどうかの判断に過ぎないのでしょう。
同様にロシアとの関係においては、イデオロギー的な対立よりも、実利としての関係を構築していこうとしているようにみえます。
理念より実利を優先するトランプさんの外交政策が、新しい国際秩序の構築の始まりとなるのか、混乱の再生産になるのか、今はまだわかりません。
判りやすくてシンプルな判断が定着していけば、それはそれで一つの秩序なのですが。
寺本名保美
(2016.12.16)
「予防的」という単語が外れるとき
政策金利の引上げには「予防的引上げ」の場合と「引き締め」の場合とがあります。
2013年以降に話題になってきた米国の利上げは、従来「予防的引上げ」に分類されていました。
ニューノーマルと称される「ディスインフレの低成長」がメインシナリオであり、欧州の金融不安や各種政治的リスクも抱える中、万が一の時に「利下げ」ができるための素地を作ることが、予防的引上げの目的でした。利上げが予防的なものであるなら、そのペースと幅は慎重に緩やかに行われ、長期金利も潜在成長率である2~3%を超えないことが前提とされるはずでした。
今回のFOMC後の議長声明を読んでみるとFOMCでの議論が、トランプ次期政権の経済運営政策を非常に強く意識し、従来FRBが考えていたニューノーマル的な経済前提が大きく変化するリスクを注視し始めていることがうかがえます。
米国が「予防的」ではなく、「本格的」な引き締め政策に転換する可能性を市場が織り込み始めた時、米国の長期金利のターゲットは足元の3%を上限としたものから5%を上限としたものに切り替わるでしょう。
投資の前提を超低金利と決めうちするのは国内外ともそろそろ危険かもしれません。
寺本名保美
(2016.12.15)
顧客ニーズという逃げ口上
顧客ニーズに則した商品開発というのは、顧客が欲しいといっている商品を開発するという意味ではなくて、顧客の資産形成にとって必要で役に立つ商品を開発するという意味です。
金融市場というものは、売り手と買い手との間にある情報の非対称性が、他の商品よりも格段に大きく、且つ使用結果に対する製造者責任が無いに等しい特殊な商品です。
ある意味においてプロの業者が、プロではない顧客に対し商品を提供する構造の中で、「顧客ニーズに則した商品」というフレーズは製造者責任を始めから放棄していることを宣言しているのと同義語です。
運用機関の現場の人達とは、こういった話をくどいほど繰り返してきたので、ある程度は理解してもらっているとはおもうのですが、異動の多い経営層には、おそらく全く浸透していないでしょう。
日本の資産運用業界がこの10年、全く進歩しているように見えないことに、かなり苛立ちを覚えている年末です。
寺本名保美
(2016.12.14)
船頭多くして?
トランプ政権の主要ポストの候補者一覧を見ていて、トランプさんの実務家としての側面がよく出ている人事だと思いました。
よく言えばプロの実務家集団。
悪く言えば丸投げ請け負い集団。
という感じでしょう。
優秀な経営者とお話していて共通して感じることは、自分が何を判っていて何を判っていないのかを正確に理解していること。判らないことに対して判った振りをしないこと。自分の守備範囲以外の分野ではプロフェッショナルを使うことを厭わないこと
。
そして、学者が嫌い…
こうしてみると、トランプ人事は経営者としては理解できます。
問題はトランプさんは経営者ではなく、大統領であるということ。
特定の企業利益に集中すればよい経営者と、社会の利益を考える政治家とは、本質的に異なる部分があるはずです。
暴走することよりも、判断の的を絞り切れずに迷走することが、トランプ政権の隠れたリスクかもしれません。
寺本名保美
(2016.12.13)
放
今年の一字。
私のイメージは「放」でしょうか。
各国での波乱の選挙に有権者の意思があるとするならば、「変化」ではなくて「解放」であったように思うのです。
どうなりたいか、どう変わりたいか、という具体的な意志ではなくて、なんでもいいから今の現状から抜け出したいという、漠然としつつも切実な願望が見れとれます。
「どう」というキーワードが抜けており、理屈よりも感情に近い分だけコントロールしにくく読みにくい。
今年の選挙によって、現実に何か問題が解決したのかといえば、おそらく何も変わっていない。ただ束の間の解放感が享受されただけなのかもしれません。
さて来年。解放を望む人々の潜在意識が、現実の世の中をどう変えていくのでしょう。
寺本名保美
(2016.12.12)
笑撃
衝撃のトランプ選挙から1ヵ月が経ち、衝撃の原動力は「笑撃」だったのではないかと思えてきました。
今年の各国での選挙を分断や格差や移民や保守といった類の言葉で難しく解説することに、意味がないような気がしてきて、結局「面白そうな」結果が選択されただけだったと考えた方が、その後の市場の反応も理解し易いのかもしれません。
大阪府や大阪市で、タレント首長が続いていたとき、大阪の人達に何故?と聞くと「誰がやったって同じならおもろいほうがいい」と言われた言葉を思い出しました。
世界中の人々がポケモンGoに熱狂する姿が江戸時代の「ええじゃないか」に見えたのも偶然ではなくて、閉塞感からの脱出を求めていた人々の一面であったともいえそうです。
面白い世界の先には断崖絶壁があることは、皆わかっています。それでもいかずにはいられない、人間の性を感じます。
寺本名保美
(2016.12.09)
前提の変化
本日公表された名目GDPについて、事前に公表されていた通り、2005年の基準値を国連の基準に合わせたことで、実額が約30兆円増加しました。
研究開発費を経費ではなく投資とみなす、というのが最も大きな変更項目で、どうらかというとこれまで投資に組み入れていなかったことのほうが不思議だったともいえます。
政府の掲げるGDP600兆円という目標に向かって辻褄をあわせているという声も聞かれますが、むしろこうした改定があることを前提として600兆円という数字を作ったということもできそうです。
今後更にGDP統計だけでなくCPI等についても算出基準の見直しが予定されています。景気が良いのか悪いのか、デフレなのかインフレなのか、足元で出てきている従前の数値だけを頼りに判断をしていると、どこかで大きく梯子を外されるような気がします。
環境や前提が大きく変わる時、最も役に立つのは、自分の耳や目で収集した肌感覚です。人工的な数値に振り回される過ぎないようにアンテナを高くしておく必要がありそうです。
寺本名保美
(2016.12.08)
とりあえず人口必要なので
国会の通し方の是非はあるとしても、「カジノを含む統合型リゾート整備推進法」について、「人の不幸を土台とする法案」だとは思えません。
そもそも、カジノというといきなりマカオとか韓国とかという話になっていますが、米国にも英国にもフランスにもドイツにもカジノはあるので、なにも珍しいものでもありません。
国内人口が足りない中で需要を作るには、外からの人口を増やすしかなくて、移民が無理なら観光客に頼るしかないのはわかりきったことです。
だったら日本全体を、ディズニーランドあり、アウトレットあり、伝統文化あり、自然あり、温泉あり、ハイテクあり、食べ物豊富で、安全で、それに加えてカジノもある、というテーマパークにしてしまおう、という発想そのもの合理性はあると思うのです。
もちろん、リスクはあります。箱ものに伴う巨額資金が動けばオリンピックや豊洲騒ぎの二の舞もあるでしょう。
それでも、何か動かさないと、前には進めません。
まぁこの先にあるのは、結局何がしかのバブルだとは思いますが。
寺本名保美
(2016.12.07)
そろそろ、まだまだ
2012年ぐらいから避け続けてきた債券のアルファというものに、そろそろ戻ろうかと思い始めてきています。
とはいえ、私が思うことはいつも1年位早すぎるので、本当に債券のアルファを考えるのはもう少し先でしょう。
βが取れない市場からは基本的にはαもとれません。
αの源泉は市場の歪みです。αが収益を生むには歪みが縮小する過程が必要です。歪みが正常化するためには市場の正常な価格形成が必要なので、βが急変したり投資家の資金フローが失われるような局面では、歪みは縮まず、収益にはなりません。
この数カ月で債券の価格調整の第一段階が始まりましたが、債券に偏重していた投資家資金の移動にはまだ少し時間がかかるでしょう。債券市場から逃げ出す投資家はまだまだ沢山控えているでしょうし、債券市場を襲う地殻変動の本番はこれからです。
これからの1年、地殻変動を上手く乗りきれるファンドを見極めていきたいと思っています。
寺本名保美
(2016.12.06)
日本で言えば小泉前夜?
海外から見ると日本の政治は安定していて羨ましいといわれます。
国内からは。日本には政治を変えるエネルギーが足りないという声もでなります。
とはいえ、今世界で起きている政治の混乱と似たような現象は、過去20年の日本で既に見てきたような気もしています。
バブル崩壊以降の10年で日本の首相は9人も変わり、21世紀に入ると劇場型政治の先駆者である小泉内閣が登場し、看板役者降板後の反動で、政権は転覆し、ポピュリズム的野党内閣が出来たものの大失敗に終わり、辟易として国民が政治から大きく距離を置くようになって、今に至る、という感じでしょうか。
経済崩壊と金融危機を抱える中での国民の不満と政治の混乱、という縮図は、今の米国・欧州に近似するものがあります。
日本に置き換えると、ようやく小泉内閣が登場する前夜ぐらいの頃合いです。まだまだ欧米の政治的混乱は続きそうです。
寺本名保美
(2016.12.05)
結局自分
行政が悪い、政治が悪い、と色々いってみたものの、いざ行政や国が変わろうとすると、一番抵抗するのが当の民間の現場だったりするわけで。
誰が悪いって自分が悪い。
少々風邪気味でぼーと呟いてみる。
寺本名保美
(2016.12.02)
荒廃している中間層って
今年世界を動かしたと言われる「中間層」というもの。
日本でも「中間層」が崩壊している、という趣旨の話を耳にするようになりました。
ところで「中間層」って誰を指すのか?ということについては、納得できる定義があまりみつかりません。
どのような定義にしようとも「中間層」というのは、もっとも面積の広い層、であるはずなので、その層の行動様式は、その時代の社会を一番投影しているはずです。
私がイメージする、中間層が崩壊した社会というのは、意味もなく公衆電話が破壊されていた80年代のパリとか、通勤電車が危なくて乗れなかった90年代のニューヨークとか、試合の度にフリーガンが暴れるロンドンとかです。
都会と地方は異なるといいますが、地方が崩壊すると人々は職を求めて都会にでてきますので、都会が荒れているときはもれなく地方も荒れています。
だから、今のニューヨークや、ロンドンや、ましてや東京をみるかぎり、その国の「中間層」が壊れているようには余り思えないのです。
荒廃している中間層って、本当はどこにいるんだろうか、と思い続けて一年が経ちました。
寺本名保美
(2016.12.01)