金融戦国時代
証券取引法が金融商品取引法に改まり、これまでの証券業・投資顧問業・証券管理業などが幅広く網羅される法律に生まれ変わった形の最終案が公表されました。
新聞等では、罰則規定の強化や投資事業組合の扱いなどを中心に解説されているようですが、それよりはむしろ、これまでの証券業・投資顧問業・証券管理業、といった業態別の管理から、業態横断的な管理へ、行政が切り替わったことの印象の方を私は強く受けました。
金融商品だけでなく、銀行業の事業法人への解禁などにも見られるように、金融業全般の垣根がこのところ急激に低くなってきています。
アセットマネジメントビジネスにおいても、証券会社と投資顧問会社と信託銀行と何故かコンサルタント会社が入り乱れ、収集がつかなくなってきているような気もします。
こうした業界の方向性にあわせた法改正という見方もできますが、混乱を増幅させるだけ、という見方もできそうです。
こうしたフリーな市場が、年金スポンサーの現状にとって望ましい形なのかどうか、自信を持てずにいます。
(2006.03.31)
雪中花:休話
東北新幹線に乗っています。外は雪景色。社長の雪男神話、健在です…
東京は今週がお花見のピーク。寒さで風邪をひかないように。
(2006.03.30)
金利の水準訂正
昨晩の米国の利上げは、大方の予想通りのものです。
ただ、打ち止め感がでなかったことには、失望感があるかもしれません。
昨年末段階で、FF金利が5%に到達する可能性を示唆していた人は、少数派だったのに対し、最近は5%で止まるかどうかが議論されるようになっています。これを受け、動きの鈍かった米国の長期金利もようやく上昇を始めたようにも見えます。
金利市場は株式のような乱高下を繰り返す市場ではありませんが、一旦動き始めると一気に水準訂正を起こす市場です。
一般的に解説されるように"徐々に水準を切り上げる"、というような値動きは実はあまり期待できません。
過去2年、FRBを悩ませてきた「長期金利の非常な低水準」が正常化する時期が近づいているかもしれません。
(2006.03.29)
長生きはリスクか?
「長生きリスク」というのは嫌な言葉です。
年金制度でだけでなく、最近頻繁に目にするようになりました。
熟年離婚をテーマにしたテレビ番組で、定年退職と人生の寿命とが接近していた時代から、定年退職後更に20年の平均余命を残す時代に変わったことが、熟年離婚を増加させていると解説していた人がいました。
そのあたりの真偽の程は別としても、60歳はリタイアではなく、80歳からの本当の老後のための準備期間と認識しなければいけない時代になったのだと思います。
人間、20年もあれば相当なことができそうです。
60歳からの起業。
60歳からの資格試験。
60歳からの資産運用。
長生きをリスクとしないためには、シニアにも融資をしたり、ベンチャー支援をしたりといった金融の仕組みや、60歳から掛けられる医療保険や積立型商品などの開発などのバックアップ体制が必要なのだと感じます。
団塊世代の巨額な貯蓄を消費させるのではなく、さらに増やす自助努力を則するインフラ整備が求められています。
(2006.03.28)
均等法20年
雇用機会均等法から20年。
私の社会人生活も20年?!まぁそれはいいとして…
この20年の社会人生活において、女性であることがプラスだったかマイナスだったかと問われれば、私は躊躇なくプラスだったと答えます。これは私が均等法1年生という非常に恵まれた環境で社会人のスタートを切れたということと無関係ではないでしょう。
金融、特に証券業では、動物園のパンダの如く、ものめずらしい存在だったからこそ、同期の男性達よりずっと多くのチャンスと恩恵を会社からも取引先からも、いただいていたのだと自覚しています。
そんな日本の会社に山のように感謝はしています。感謝はしているのですが、日本企業に戻りたいと思ったことは辞めてから一度もありません。
"男性の持つ時間軸や価値観で作られた組織の中で、女性が働きやすい環境を作る"という発想そのものに、どこかネジレを感じてしまうのです。
同じ仕事をするにしろ、男女の時間軸や価値観は明らかに異なります。無理に価値観をあわせるのではなく、特別扱いをするのでもなく、異なった価値観が共有できるような組織作りとはどうあるべきかを考えることが、男女共同参画社会の基本なのではないかと思うのです。
(2006.03.27)
ベンチマーク議論
資産運用の世界で、市場ベンチマークやトラッキングエラーという概念が定着したのは、たかだかこの20年ぐらいのことです。
一方で、30年・40年に渡り運用を継続しているファンドマネージャーや、100年以上の歴史を持つ運用会社というのは、幾らでもあります。
こうした老舗ファンドにベンチマークの存在意義を尋ねると、どうも玉虫色のお返事が返ってくるので釈然としないのですが(苦笑)、本音ではベンチマークには興味がない、と思っている人は少なくないのかもしれません。
ベンチマークというものが存在することで一番恩恵を受けているのは、実はコンサルティング会社なのかもしれません。山のようにあるファンドを整理しやすいようにカテゴライズしランキングをするために利用しているからです。
昨今、様々な側面でのベンチマーク議論が再燃し始めました。コンサルタント主導のベンチマーク議論ではなく、運用者やスポンサーにとって意義のあるベンチマーク議論をしていかないといけないと思っています。
(2006.03.24)
貯蓄と投機の狭間
日本には「投資」という概念が乏しいということは、この場で度々指摘しています。
では、日本にはどのような概念があるかというと、「貯蓄」と「投機」ではないかと感じます。
最低のリスクで資金を置いておくだけの「貯蓄」。
なくなるのを覚悟でハイリターンを狙う「投機」。
日本の個人金融資産は、この二つの両極を、大きく右左に触れているだけのように見えます。
投資家保護法は大切です。ただし投機家保護は必要ありません。
個人資産だから守らなければならないのではなく、個人が安心して長期投資できる金融環境を守らなければならないのだと思います。
投資家保護の議論と同時に、投資家作りの議論が必要なのではないでしょうか。
(2006.03.23)
リフォーマーとパフォーマー
NYの人に、なぜ小泉首相を評価するのか尋ねると、彼は“REFORMER‐改革者”だから、との答え。
いや、彼は単なる“PEFORMER‐ええカッコしい”なのではない?というのが当方の返答。
といった会話をしながら小泉さんというのは、本当にアメリカうけのするキャラクターであることを実感しました。
海外投資家が求めている姿が日本の将来にとってよいことであるかどうかは別として、REFORMERでPEFORMERというのが、ポスト小泉レースの一つのキーワードであるような気がしています。
(2006.03.22)
出張メモ
1週間ご無沙汰いたしました。
NYの感想。
景気は1年前と比べ、ピークアウトしている。
賃料が上がりすぎて空室が増えている。
小泉・竹中人気は相変わらず。
ワールドカップ野球よりNBAバスケ。
改めて思ったのは、運用会社のオフィスのなんて大きくて立派なこと。
証券会社や銀行の本店ほどのオフィス規模を持つ運用会社がゴロゴロ。
日本でのアセットマネージメント会社の存在感との格差の大きさを改めて実感。
(2006.03.20)
海外出張
せっかく東京が春めいてきたところで、まだ寒いニューヨークに出張です。
「思いつき」も今週1週間お休みさせていただきます。
また、面白い話を仕入れて来週から再開します。
では行ってきます!
(2006.03.13)
頑張って読んでみた
日銀総裁会見の一問一答を読んでみました。
こういっては何ですが、結構面白かったです。
「量的緩和の解除で何が変わるのか、わかりやすく説明していただきたい」という問いに対し、
「何回説明しても分りにくい量的緩和政策から、非常に分かりやすい金融政策に変わった。今後、私の説明は皆さんにとってより分りやすくなるだろう。これが答えかと思う。」との答えに、中央銀行としての本音が見え隠れしているようにも感じます。
量的緩和というのは、世の中から金利という概念を抹殺した政策であり、これは「金利政策」によってのみ、物価・経済をコントロールすることの許される中央銀行にとって、自らの存在の自己否定に近い環境であったといえるのでしょう。
量的緩和解除で、ようやく武具装具の調った日本銀行の、戦闘意欲がにじみ出てくる一問一答だったようにも感じます。
(2006.03.10)
現況…
最近の当社に持ち込まれる新規ファンドの傾向。
国内株式関連は減ってきました。外国株式関連は増えてきています。
国内債券については、恐る恐るながら?新しい投資アイディアが散見。外国債券は運用機関が絞り込まれてしまったという感じでしょうか?
ヘッジファンド関連も一服。
最近多いのは、アセットアロケーション型の戦略(グローバルマクロに近い?)。株式のロング&ショート(ロングバイアスタイプ)。海外クレジット関連。
傾向としては投資スキームは依然として複雑化し、レバレッジは上昇中。やや警戒…。
(2006.03.09)
量的緩和の解除の緊張感
日本銀行の政策委員会がこれほど世界から注目されることは、後にも先にもこれが最後かもしれません。
金利ゼロを更に推し進めた「量的緩和」という金融政策が、世界の金融史上に残る異常事態であったことはいうまでもありません。
時間軸という言葉で表されるように、「当面のゼロ金利の継続」を担保していた量的緩和政策が外れることで、超短期の円金利でただ同然の資金調達が可能だった時代も終わります。
全世界の流動性の内、日本の量的緩和が寄与していた金額はどれほどの総額があるのでしょう?
日本が量的緩和を止めてしまうことが世界の金融市場の流動性にどれほどの影響を与えるのか、誰もわからないのが実態なような気がします。
異常が正常に戻る過程で何が起きるのか。ファンドマネージャーだけでなく、世界の金融関係者にとってしばらくは緊張感の抜けない日々が始まりそうです。
(2006.03.08)
鯨がプールに入ると…
日本の個人投資家が外国為替市場で存在感を示すことは、珍しくはありません。
今回のように、円・ドルという巨大市場を動かすほどの流れは稀ですが、豪ドルやカナダドルなどの周辺国通貨においては、日本の個人マネーがヘッジファンドのように通貨を押し上げてしまうということは、よくあることです。
日本人の動かす資金量は、世界の多くの金融市場にとっては、時に受け入れがたいほどの規模であるということを、我々はあまり自覚していないようです。
昨年からオーストラリアやニュージーランドなどでは、自国通貨が日本人の投機の対象にされていると、主張し始めています。
為替だけではなく、新興国の株式などへの投資でも同じ様な現象が起きている可能性があります。
投資対象のキャパシティを考えるということは、個人の受け皿となる投資信託を設計する際の基本中の基本です。
(2006.03.07)
金利水準比較
量的緩和解除の時期が見えてきたことで、市場金利が反応しています。
今朝段階での金利水準を整理してみると、
5年金利:1.1%(2004年6月1.0% 2000年9月1.32%)
10年金利:1.63%(2004年6月1.9% 2000年9月1.97%)
20年金利:2.02%(2004年6月2.5% 2000年10月2.66%)
となっています。ちなみに2000年9月というのは、日銀が低め誘導を解除し短期金利が0.6%近辺まで上昇する過程です。
10年や20年の金利が低すぎるかどうかは意見の分かれるところとして、実質的な年金ベンチマークである5年金利は2004年の安値を超えてきています。
現時点で、ゼロ金利政策解除まで織り込みつつある中短期の金利については、そろそろ怖がらず組入れ初めてはいかがでしょう?
1%の金利収入は、ちょっと魅力的だとは思いませんか。
(2006.03.06)
ヘッジファンドとインサイダー
イギリスの大手ヘッジファンドが、日本のメガバンクに対する投資について、証券会社からインサイダー情報を受け取ったとし、制裁金の支払いを命じられました。
この件に限らず、ヘッジファンド戦略とインサイダーの問題は、業界全体で大きなテーマになりつつあります。
2月に、やはり米国の大手証券会社が極一部の最重要顧客を呼んで、グリーンスパン氏との会食をセットした際、呼ばれたのは全てヘッジファンド会社だった、という噂話も新聞などに出ています。
お金のあるところに情報は流れる、というのは金融界の常識ではあるにしろ、大きくなりすぎたヘッジファンド業界に情報が集中しずぎることを警戒する人々が増えているのも事実でしょう。
(2006.03.03)
ダイエットとお金
少し前になりますが、総額500億円近い予算と8年の年月を費やした、史上最大の(?)ダイエット調査の結果、LOW-FAT(低脂肪)ダイエットとガンや心臓病の発症率の低下との直接の因果関係はないとの研究結果が出た、との記事がNYタイムズに出ていました。
人口減少が最大の課題である日本に対し、成人の肥満が最大の課題である米国を象徴するするような記事ですが、500億円使った結果が体重と健康は無関係、というのもどうかと。
そういえば2年ほど前まで大人気だった低炭水化物ダイエットが下火になったとたん、食品メーカーの株が急落したこともありました。巨大な食品業界を抱える米国では、ダイエット一つでも巨額な資金が動くということなのでしょう。
この調査の結論はダイエットだけでは健康になれない、というものであって、太っていることを奨励するものではなさそうなので、念のため。
(2006.03.02)
生保と銀行
生命保険会社等が、国が保有するメガバンクの優先株を、1000億円の規模で買い受けるとの記事が出ています。
いつも思うのですが、こういった形で生命保険会社が銀行資本を引き受ける構造は、どうしても納得できません。
いわゆる株式の持ち合いのような、資本関係を利用した企業の連携はこの20年で過去のものになったのではないのでしょうか?
持ち合い解消と称して、銀行から保有株式を一方的に市場で売却されてきた一般事業法人は、この銀行と生保の関係を見て、何を思うでしょう?
もし、純粋な資産運用だというのなら、市場を通して買うのが筋だと思います。
この20年、銀行や生保は本当に何も変わらなかったということを証明するような事象に私は思えるのです。
(2006.03.01)