2024年02月の思いつき


宴もたけなわ

金融市場がバブルであると感じるタイミングに置いては往々にして、スタート時点の材料を消化し尽くした後に、更に上昇する市場価格を正当化するための後付けの理屈がもっともらしく語り始められるという傾向があります。

そういう意味では、今の日本の株式市場は、1年から2年程度前、もしかするとそれ以前にに芽生えた材料に反応している、只今消化中、という段階なので、まだバブル感が醸成されているとは言えません。

世界全体で見れば、コロナ禍の少し前から始まっていたイノベーション経済を対岸の花火のように傍観していた日本が、実は熊本まで導火線が伸びていて、いきなり花火が打ち上がったという感覚でしょうか。

逆にいうなら、今の日本株市場の反応は、絵に描いたような周回遅れだということで、日本が花火シーズン真っ只中になるころに、世界では祭りの後の残骸処理が始まっているかもしれない、ということです。

宴もたけなわではございますが、そろそろ中締めのお時間で、、、っていうフレーズを思い出しました。

寺本名保美

(2024.02.27)



盛り上がらない

日経平均が過去最高値を漸く更新しました。

とはいえ、国内株式市場の運用担当者達の目下の興味は米国NVIDIAの決算の方で、市場が高値更新しているほどの高揚感は全く伝わってきません。

では、1989年の年末の高値を付けた頃、株式市場高揚感があったかというと、そういうわけでもなく、指数が上がっている裏で下がり続けるNTT株や、3か月毎に上がり続ける公定歩合を横目に、心のどこかで終わりを予想し始めている人も多かったような気がします。

1985年の円高ショックから5年間、債券も不動産も企業も個人も巻き込みながら雪だるまの様に膨れ上がった到達点としての3万8957円と、国内投資家が殆ど参加することなく海外勢中心にフワフワと上昇させられた3万9000円とでは、良くも悪くも随分と重みが異なります。

ここが単なる通過点だと言い切るつもりもありませんが、この株高が個人消費に還元されることもなく、市場の高揚感もなく、単に高値を付けたということだけで終わってしまうのは、余りにも寂しいと、個人的には思っています。

寺本名保美

(2024.02.22)



一時的なブームなら終わらせない

月曜日の朝イチ、札幌からの戻りです。

エアポート快速を待つホーム上において日本人は完全なるアウェイです。

海外からの人と、巨大なスーツケースに押しつぶされそうになりながら、日本人らしき人を探してみるものの、1割も見当たらない感じでしょうか。

コロナ禍前は、雪祭り直後のこの時期は、札幌行きの飛行機も宿泊費も大きくプライスダウンしていたものですが、今回は相変わらず高いままだった理由が、よくわかります。

でも、これだけ外国人比率の高いJR北海道の外国語対応は、コロナ禍前とほとんど変わらない印象です。そもそも満員電車に慣れていない方達をもう少し上手に誘導してあげないと、これだけで日本観光の後味が物凄く悪くなりそうです。

JAPANが一時的なブームで終わってしまうかどうか、株式市場も観光も、これから正念場です。

寺本名保美

(2024.02.19)



先祖代々の教え

「先祖代々、株にだけは手を出してはいけないと言われてきた」と話す、会社経営者の方とかにお目に掛かることは、過去幾度となくありました。

大概において、そういう方々の多くは、ビルやマンションなどの不動産には驚くほど大胆に投資をなさり、「保険」と名が付けば変額であろうと外貨建てであろうと無頓着に契約します。でも、株は買わない。

株を買うことは投機で、不動産を買うことは投資で、保険は保険。

戦後のハイパーインフレから始まり、オイルショックにバブル崩壊と、保有している株券が紙屑になった経験については言い継がれてきたものの、株式投資で大儲けをしたという成功体験は殆ど醸成されてこなかったのが、戦後日本の資産運用環境です。

足元の新型NISAブーム。個人投資家の裾野が広がりを見せていることは本当に良いことです。昭和の損失体験を持った世代から、先入観のない若い世代に金融資産のバトンが渡ることで新しい時代が開かれるという期待もあります。

一方でこのブームのコントロールを間違えれば、新たな紙屑伝説を再び次の世代に引き継ぐことになりはしないか、という怖さも感じています。

街では、相変わらずテーマ型投信の広告などが踊っています。今回の投資機運は絶対に成功体験として継承しなければなりません。運用会社も販売会社ももう少し緊張感を持った対応ができないものかと、心底思っています。

寺本名保美

(2024.02.15)



開闢期のモデル

コロナ禍以降、国内外において金融経済見通しが外れ続けていることへの検証が漸く始まりつつあります。

構造変化をマクロ統計で処理することは困難であるという解説がありました。これはマクロ統計だけでなく金融市場における様々なモデルにおいても共通して直面している大きな課題でもあります。

様々な構造的な変化が統計の継続性を分断し、過去を前提とした解析結果の有意性を失わせているとするなら、そこに必要なのはモデルの精緻化ではなく、データの非継続を前提とした定性的な補完作業なのではないかと思っています。

そして更に問題なことは、この定性的な補完作業をするための、経験値が、世代間において継承されていないところにあります。

とはいえ、こう言っている間にも新たな構造下におけるデータと経験値の蓄積は始まっています。

暫くは混乱が続くことが想定されますが、新たな社会の開闢期と思って柔軟に対応していくしかないかもしれません。

寺本名保美

(2024.02.13)



只今考え中

市場の亀裂を確認するシグナルは幾つか点灯し始めています。

一方で、市場環境そのものは堅調で、マクロ環境が総じて好調であることを否定するものではありません。

どのタイミングでどの程度リスクを落とすべきなのかを、久しぶりに真剣に考えているのは事実です。

判断の材料は、今の金融政策でも、今の景況感の総体でもなく、昨年までの金融政策が与えたであろうダメージと今の景況感から遊離を始めている細部における亀裂の深さです。

まだはもう、という言葉を思い出しながら、考え中、です。

寺本名保美

(2024.02.09)



政府とIMFと株式市場と

中国への違和感が喉の奥の棘のように気持ちが悪いです。

株価は急落しているものの、発表される経済指標は、少なくても、昨年末までの数字は悪くはないのです。

従って中国政府は、株価対策はするものの、経済対策は、政策金利を下げた程度で、ほとんど何もしていません。

IMFも中国に対して、景気刺激策を打つように警告していますが、中国政府の見解は、景気は悪くないので、必要ない、とのこと。

不動産業の危機的な状況については、ある種の国有化策を取ることで、将来リスクはないと主張しています。

一時期ほどではないにしろ、一定の富裕層を抱える中国市場にとって、株価の低迷や、預金金利の引き下げは、消費にとって大きな打撃となります。

それでも、泰然と構えている、ように見える、中国政府と、ややヒステリックに下げ幅を拡大している中国株式市場と、果たしてどちらを見ていれば、中国経済の実体に近づけるのか。

この国のことは、本当にわかりません。

寺本名保美

(2024.02.06)



確信を持つ難しさ

物価上昇の確信が持てるまでマイナス金利の修正はしないという日銀。
物価沈静化の確信が持てるまで利下げはしないというFRB,

どこの国においても、あらゆる分野で二極化と分断が進んでいる現状において、金融当局が求める「確信」を探すことは、かつて無いほど困難です。

ロイターの表現を借りるなら「無敵の消費者」の存在が米国においては依然として健在であることは、昨晩までに発表されたAmazonなどのビッグテックの決算からもわかります。
一方で、商業用不動産の価格下落は、米国地銀だけでなく、日本の金融機関の決算にも悪影響を与え始め、米国の中小企業のデフォルト率も高水準となっています。

日本では、好調な企業業績を背景に史上最高値を目指しつつある株価の一方で、個人消費の裾野はさっぱり広がらず、大手スーパーは再び値下げ戦略に舵を切りつつあります。

何をみてインフレというのか。デフレというのか。
政策当局だけでなく、市場参加者もまた、視野を広く持って判断していく必要があるのかもしれないと思っています。
 寺本名保美

(2024.02.02)


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